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ADHDの歴史

ADHDの子供はずっと昔からいましたが、それが病状として最初に認識されたのは1902年です。
イギリスの小児科医であったサー・ジョージ・フレデリック・スキルが、知能自体は正常だが、「落ち着きがなく、暴力的な発作を起こし、破壊的で、処罰にも反応しない子供たち」を報告したのが、ADHDの概念の医学的な起源です。  
スキルはこれを道徳的な自己抑制の欠如として捉え、ダーウィニズムの枠組みの中での発達の障害だとしていたが、イギリスの医師アルフレッド・トレッドゴールドは、1920年代の著作でこれを脳の損傷と結びつけ、ダーウィニズムの枠組みから離れて、「脳炎」後の後遺症ではないかという仮説を立てました。

この時期は「嗜眠性脳炎」などが発見されてその後遺症で精神や情動に異常が出ることが論じられ、また史上最大のインフルエンザ流行の後遺症が報告されるなど、脳の障害にその原因を求めつつ、遺伝とは別のメカニズムで発達障害を理解する方法も模索されていましいた。

1950年代の終わり、微細な脳損傷の影響が考えられる行動、認知、情緒の障害を、MBD(微細脳機能不全)と呼びました。
その後、MBDは多動症候群と特異的発達症候群つまり学習障害の2つのカテゴリーに分けるのが妥当であるとされました。
1970年の後半から診断基準の統一をはかる機運が生じ、小児期の障害についても概念と診断基準が整理され始めました。
1980年にはDSM-Ⅲにおいて多動症候群に代わり、「多動を伴う注意欠陥障害」の診断名が登場し、1994年に改訂されたDSM-IVでは現在のADHDに変更されました。

日本においては、ADHDをもつ者に対する風当たりが厳しく、児童を精神科医や心理学者に診察してもらうのは事実上タブーであるとの風潮がありました。

また成人ADHDにおいては、日本独特の状況が存在します。

日本の医療現場においてはADHDに対する理解が全般的に浅く、精神科医ですらADHDは子供の病気と誤解していることが多いのです。

そのため、成人ADHD患者が十分な治療を受けられないケースも多く存在するといわれています。 またADHDの治療薬を、厚生労働省は成人に対しては全く認可していません。

ADHDには投薬治療が効果が高いとされ、たとえばアメリカではFDAによって、リタリンをはじめとして10種類以上の薬が認可されていますが、日本国内では厚生労働省はこれらの薬を含めて成人ADHD治療薬を全く認可しておらず、投薬治療の道は完全に閉ざされています。
このように、日本における成人ADHDをめぐる状況としては、諸外国と比較して治療環境はかなり悪く、十分な医療福祉を受けることが困難な状況にあります。

なお、ADHDをもつ者への不理解により、本人の人格を否定し、ひきこもりやニート化、うつ病、PTSDになることもあります。

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