夢の中の父の釣り針空っぽの餌を抱えて
夜更けの静かな部屋に身を沈める。夢の中へと迷い込む私は、幼い頃の記憶と共に、父の姿を再び見つける。彼は川辺に腰を下ろし、釣り針を垂らし込む。しかし、釣り針の先端に引っかかったのは、何の餌も無い空の餌袋だった。
父の釣り針は、静かに川の水面を浮かべた。波の音が部屋に響き渡り、夢の中の私もその穏やかなリズムに心を落ち着かせた。しかし、釣り針に引っかかるのは何かが無いという無力感だった。
父は夢の中でもいつものように、静かに釣りを続ける。私が近づくと、彼の顔にはいつも通りの笑顔が浮かんでいた。しかし、その笑顔には少し見え隠れする不安と苛立ちが隠されていた。
「お父さん、釣り針には何も引っかからないの」と私が尋ねると、父は一瞬ため息をついた。「そうだね、釣り針には何も引っかかっていないんだ。でも、それでも釣りを続けるのが楽しいんだよ。」
父の言葉には何かの深い意味があったように感じられた。釣りという行為は、単なる遊びや娯楽以上の意味を持っていたのかもしれない。釣りは、何かを得ることを期待するのではなく、その行為自体が目的なのだ。
夢の中の私は、父の釣り針をじっと見つめた。針の先端には何も無いが、それでも父は釣りを続けるのだ。それは、私たちの人生にも通じる真実なのではないかと考えた。
釣り針が空の餌袋を抱えているという夢は、私にとって何かのメッセージを秘めていた。それは、私が何かを得ることを期待するのではなく、その行為自体を大切にすることの重要性を教えてくれた。
私たちの人生には、多くの釣り針が待っている。そして、その釣り針の先端には必ず何かが引っかかる日が来る。しかし、その日が来るまでに、私たちはその行為を大切にし、静かに待つことができるのだ。
夢の中の父の釣り針、空っぽの餌を抱えて。それは、私たちの人生の旅において、何かを得ることを期待するのではなく、その行為自体を大切にするという教訓だった。